エポケー
フッサールの現象学で、超越論的還元がある。エポケー”判断停止”。ある人の動作を観察すると、その人はこういうことをしたいのではと考えてしまいます。そこをぐっとこらえて解釈せずに、その動作をありのままに受け入れてみます。その判断をしないことが、エポケーなのでしょうか。すると、その動作とその動作をした人との関係性が二次的に映し出される。それが超越論的還元なのだろうか。そんな感じだろうと思っています。
今、私は精神科でメンタル的に困ってしまった人と会話したり、彼らの言動を観察したりするわけですが、なるべく解釈することは避け、ありのままに表出された態度や動作、言葉、本人の内的経験、動機などを聞き、それをカルテに記載していきます。そこにはなるべく判断が入らないようにしていきます。
エポケー”判断停止”。カルテ記載内容から滲み出てくる本質的な何かが見えてきたとき、類型的な診断(●●病っぽい)が可能になるのかなと思います。
精神科の診断ははっきりはできないものだと感じます。●●病っぽいとしか言えないようです。DSM-5やICD-10というような操作的診断基準がありますが、とても実用的とは言えません。
だから、もやもやした中にある、もやもやした病が精神科でいう病気の理論であり、この部分は●●病っぽい、あの部分は▲▲病っぽいと、考えられることを挙げていき、その人の病の構造が見えてくるようです。
だから、診断は治療を決める上では必要なことですが、まずはその患者さんがどの病気であるかより、その患者さんが社会的にベストな状態に保てるかを一緒に考えていくことが大事なようです。
自分が考えていることは自分の中で経験したことでできています。自分の考えが、相手の考えていることと、全て同じということはありません。そんなときはまずエポケー”判断停止”して、そのまま受け入れて解釈せずに消化することが大切かと思われます。
レトロウイルス
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