建築は性別を持ち得るか
人間には男と女、2つの性別がある。履歴書を書くとき、このどちらかを選ぶ。建築にも男と女で分けられるのだろうか。
最近、性同一性障害や同性愛が話題になることはよくある。男と女の違いはどこで判断するものだろうか。ホルモンや発生など生物学的側面や、表出された外面的側面、性格や思考、認知などの潜在的な内面的側面などが挙げられるだろうか。
建築もこの3つの側面から性別を判断してみたい。
例えば、水戸芸術館。建築家の磯崎新が設計した美術館である。
まずは生物学的側面であるが、建築にとっての生物学的側面とは何か。
次に表出された外面的側面としては、水戸芸術館にはシンボルとなる高い塔がある。男性にはペニスがあるが、女性にはない。そういった意味では男性的であると言えるのだろうか。また中心には石が固定されているのが印象に残っている。力強さや固さなどを感じさせるのも男性のようである。ここでの外面的側面とは屋外から見た面のことである。
次に潜在的な内面的側面についてあるが、建築にとっての内面とは何を指すだろうか。屋内のことか、それとも建築が醸し出す雰囲気だろうか。ここでは建築の内面的側面は、屋内を見たときに醸し出させる部分に限定する。
水戸芸術館の屋内は、実に荘厳な印象で、教会や修道院のような神秘的な雰囲気が漂っている。美術館内はシンプルで大小様々な立方体がつながっているような作りになっている。神秘的でシンプルな性格、柔軟性があって、やや前衛的な雰囲気もある。男性か女性かという区別はつかない中性的な印象である。
建築を人間化させるために、性別を持たせることは基本的に大切なことである。しかし、生殖行為は建築にはできないように思える。ここで考えてみると、建築に親子関係があるのか、建築家とその建築家が生んだ建築との関係性は何か、人は神様によって作られたとしたら建築は建築家という神様に作られたと言えるのか、など、さまざまな思考が生まれる。
建築人間化補完計画を達成するためには、性別、性、種の起源な生物学的側面の掘り下げも必要かもしれない。
レトロウイルス
以下、水戸芸術館。
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