精神科医はそれぞれにコンセプトを持っているかどうかについての考察
精神科医は、思想家またはアーティストと同等のような感覚がある。なぜかと言えば、そもそも精神障害の定義すらもふわふわしているからである。たしかに、基本的な類型の診断は可能であるが、ある患者を100%疑いなく統合失調症であると言える精神科医はいないはずである。現時代の中で自明性が喪失し、狂気が発現している人に精神障害があるのか、もしその狂気がこの世のスタンダードであったとすれば、それは狂気とも言えず、精神障害とも言えないはずである。文化や生活環境、時代が変われば、統合失調症とみなされる人も変わってくる。精神科医にも、それぞれ考え方が違っている。例えば、統合失調症を挙げてみても、ストレス脆弱性があるからだとか、脳内ドーパミンが過剰になったとか、グルタミン仮説やセロトニン仮説とか、遺伝子因子や環境因子とか、たくさんの話題がある。原因以外にも統合失調症に対する考え方として、生物学的精神医学的なものや精神病理学的なものなどがある。精神病理学的な考え方にも色々である。フロイト、ラカン、ビンスワンガー、ミンコフスキーなど、思想家であり精神科医である人は多い。独自の思想を持って統合失調症という疾患について考察している。それぞれの言及は正解であるか、不正解であるかを問うことはあまり問題ではない。考えに共感したり反対したりすることはあるかもしれないが、それが客観的に正しいかどうかは問題にはならない。彼らが言及していることは、ひとつの作品と考えてみたほうがいいのではないかとも思う。その作品について、批評的な解釈や議論はあるべきであろう。
ここで言いたいことは、精神科医もそれぞれの作品というか、コンセプトみたいなものを持っているはずなのではないかということである。たしかに精神医学は学問として、必ず身につけていなくてはいけない基礎的なことはある。そして臨床現場ではだいたいの精神科医が同じように問診をしたり、診察をしたり、検査をしたり、処方を出したりするはずである。しかし、精神障害に対する考え方や見方は精神科医それぞれに異なった特性はあるように思う。画家がデッサンや色彩学、技法などの基礎的なことははじめ学ぶであるだろう。しかし、その後はそれぞれの個性を出して、個々が持っているコンセプトを頼りに作品をどんどんつくっていくはずである。精神科医も共通した要素が強いと感じる。
では実際、精神科医はコンセプトを公開しているのだろか。大部分の医師が公開していないし、公開していたとしてもそれを患者が見つけることが非常に難しいと感じる。
ここからはアイデアでしかないが、精神科医のコンセプトを集めて、それを公開する情報サイトをつくるべきではないだろうか。いわゆる建築家を紹介する情報と似たものである。建築家として、安藤忠雄、藤森照信、磯崎新、千葉学、伊東豊雄、西沢立衛など挙げると、それぞれの独自の個性のある思想やコンセプト、建築のイメージが出てくる。安藤忠雄ではコンクリート打ちっぱなしの荘厳なイメージ、藤森照信は縄文や有機的な建築のイメージ、磯崎新はポストモダニズムと前衛芸術的な雰囲気を思い浮かべます。
たしかに精神科医でも、京都大学教授の村井先生は脳生物学的な精神医学の研究、聖マリアンナ大学教授の古茶先生は精神病理学の研究、筑波大学の斉藤先生は不登校や虐待などをやっています。たしかに専門分野としてのそれぞれ第一人者として研究をしている。しかし、他の医学分野と違い、精神医学はじつに自然科学的な観点での研究は難しくなっているように感じる。これからは精神医学(特に統合失調症)の概念的なコンセプトを持って、それぞれの特性として、それを公開していくことが必要なのではないか。そこで、患者とのマッチングサイトやウィキペディアのような充実した精神科医の情報を蓄えてみるのはどうだろうか。
そして、精神医学の周知と精神障害の偏見の軽減などができるのではないかと考えた。また精神医学に対する議論や討議の機会が増え、精神医学のさらなる発展が可能になるのでは。
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