救急救命センターにて、人間とは。
現在、私は研修医としてさまざまな科をローテーションしているが、今は救急救命科をまわっている。
救急救命センターには、超重症患者が運ばれてくる。超がつくといえば、超自然。超自然と聞くと何かオカルト的な要素を感じる。超重症患者もそんなオカルト的な要素を感じてしまうのは僕だけだろうか。
いわゆるもう助かりそうにない人に対してやる儀式的なものがある。それを儀式と言っては、人道的に反感を買うかもしれない。心臓マッサージ、挿管、酸素吸入、X線レントゲン、CT、その他もろもろ。救急現場では、処置や行動はマニュアル化されている。
では、助かるとはどういうことを言うのだろうか。たとえば、もともと健康な人が交通外傷で来た患者を想定してみよう。大出血でショック(低血圧と頻脈があり、身体の酸素需要が追いついていない状態)で、脳血流が低下し、脳細胞が死んでしまい、もとに戻らなくなる。一回心停止にいたるが、心臓マッサージで再度心臓はもとに戻る。しかし、脳昨日は元に戻りそうもない。この場合、この人は自ら呼吸をすることも、意識が戻ることもない。しかし、心臓は動き続ける。人工呼吸器を導入し、見かけ上には呼吸をしている。患者のそばには、家族が近くに寄り添い泣いている。
整理すると、脳は死んでおり、自発呼吸ないが、心臓は動いている。この人は話すことも、歩くことも、食べることも、笑うこともできない。人間とはなんのか。
もう一つ、例を出したい。
もともと脳性麻痺を持っている17歳の子供。手足を動かしたり、声を出したり、排便・排尿したりはできるが、自ら歩いたり、お話をしたり、トイレでひとりで排便・排尿したりはできない。その子が、突然心停止になり、上記の最初の例と同じ状態になったとしよう。そこで、同様に家族は泣いている。
ここで前者の例と後者の例を比較すると、前者は健康な人が、突如植物人間状態になってしまった。一方、後者は脳性麻痺でもともと重度の障害があった子が、植物人間状態になってしまった例である。ここで、では健康な人が脳性麻痺状態までADLが下がったとすると、家族は泣き崩れるだろうか。おそらくそうなるだろう。
最近よく思う。ADLの低下は悪いことばかりだろうか。果たして、ここでの構造は、「健康状態>脳性麻痺状態>植物人間状態」という図式が成り立つ。これに異論があるといえば、それはお人好しか、偽善者かと思われるかもしれない。しかし、私はお人好しでも偽善者でもない。しかし、「健康状態=脳性麻痺状態=植物人間」という図式は立ててはまずいのか。この図式で注意しなくてはいけないことは、どんな評価尺度(質・量)によるものなのかということだ。例えば、評価尺度がADLであったり、家族が悲しむかどうかあったりすれば、「健康状態>脳性麻痺状態>植物人間状態」としても大きく外れることはないはずである。
「健康状態=脳性麻痺状態=植物人間状態」が成り立つの評価尺度は何があるか。そこを考えた方がいいんではないでしょうか。
その評価尺度がたくさんあれば、「人間=健康状態=脳性麻痺状態=植物人間状態」という状態にできるのではないか。かなりむちゃくちゃなことを言っているかもしれないが、偶然の産物はなかなか変えられないとも思う。
救急救命センターではなかなか言えないが、もしかしたら、思考地図のすり替えが人間の救命で最も効果的な可能性はないだろうか。それは間違いでしょうか。間違えの可能性は大いに考えられるが、このように考えてしまう私がそこにはいる。
注)救急医療に対する批判ではないことを考慮していただきたい。
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